2012年8月20日月曜日

開始

思い立ったが吉日,ということでブログ(というか雑記)めいたものを始めてみようかなと.
十中八九,更新は不定期であり,エンターテイメント的な代物も皆無な内容になると思われる.
あと,気が向いたら,本当に気が向いたら,各エントリーの英語版もUPしていきたい.気が向いたら.

些か唐突ではあるが,せっかくなので,何か一つの題材に関して書き綴ろうかと思う.
今回は「数学と僕」.

遡ること約10年,僕が中学3年の頃,数学は僕にとって一番苦手な科目だった.
確か高校受験の試験結果も数学が一番悪かったはずだ.
高校に入って,少し苦手意識が薄れたものの1,依然として安定した点数を取ることはできなかった.
その後も,模試などでたまたま問題が解けて高得点が取れることはあったが,結局,某大学の前期試験では1完2すら出来なかった.
あの頃の数学は,少なくとも僕にとって,曖昧で離散的で,そのくせ浅く狭く閉じた,“一試験科目の”数学という枠を一切はみ出ることのない,云わば雨上がりのアスファルト上にできた複数の水たまりのようなものだった.

後期試験を運良くパスし,現在の大学に入ることになった僕は,学部3年まで数学と距離を置くことになる.
とは言え,僕が所属していたのは情報工学部であり,物理的(という表現が適切かどうかは疑問ではあるが)にそれは不可能だった3
では,数学の何から距離を置いたのか―それは,理解,である.
ただひたすら,試験前に過去問を解き,作業感覚で単位を取得していった.
本質を視る事象は一切生起しなかった.
非常に愚かだった.

転機は右斜め上から訪れる.
学部4年になり,研究室に所属した僕は,輪読4に参加することになる.
当時の輪読本の一冊は画像圧縮符号化技術5に関するものだったが,一言で表せば,線形代数だった.
しかし,その本の中では,線形代数の知見が連続性・ストーリー性をもって有効活用されていたのである.
固有ベクトルや直交行列などが鮮やかにその本質を映し出しながら視界を横切っていった.
それらは,穿たれたジェンガの隙間を埋めるように,ひとつの技術を象るのである.
中高の数学教師が頭を悩ます「数学って何の役に立つの?」という質問に対する直接的な回答のひとつが確かに在った.
革命的だった.

これを機に6,研究にのめり込んでいった僕は,トップダウン式で数学を勉強した.
そして現在,博士課程一年にしてやっと,数学の醍醐味のごく一部を咀嚼しているように思う.
そのひとつが,“厳密な抽象性”である.
これに関しては,具体例(抽象的なのに)を織り交ぜつつ,また別のエントリーで詳しく取り上げる予定だ.

何はともあれ,昔は数学が苦手だった少年が,今や数学を駆使する分野で研究を楽しんでいる7のだから,人生わからないものである.






1 これは恐らく数Ⅰの内容が割と自分にとって理解しやすかったからであると思う.
2 大問を一つ完答すること.
3 ほぼ全ての情報系の科目に数学が関連している.
4 一冊の専門書を研究室の皆で読み進めること.
5 デジタル動画像を画質の劣化を抑えつつコンパクトな情報量で表現する技術.
6 他の理由もあるが,それはまた別の機会にでも.
7 今でも数学が得意になったとは到底思わないが.

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